2021年のベスト映画だった『Get Back』は、ポール・マッカートニーの正当に評価されてこなかった一面を明示している。
ポールは天才アーティストだっただけでなく、前世紀で最も優れた経営の才能を発揮したひとりだったということだ。
リンゴ・スターが最近のインタビューでそのことをうまく言い表している。
「ポールがバンドにいなかったら、たぶんアルバム2枚作って終わりだっただろうね。俺たちは怠け者だったし。でもポールはワーカホリックだった。ジョンと俺が庭に座って木の緑でも眺めてると、電話が鳴って、『ようおまえら、中に入らないか? スタジオ入ろうぜ!』って具合だった」
スタートアップとしてのビートルズ
シリコンバレーのベンチャーキャピタリストたちが「創業者エネルギー」と呼ぶものがポールにはある。
ザ・ビートルズは、その世代で最も偉大なスタートアップのひとつだった。音楽を作っただけでなく、セックス、ドラッグ、ファッション、政治といった幅広い問題についての社会規範を革命的に変えたのだ。
勤労意欲に関して言えば、ポールは1956年以来、大して休むこともなく曲を書き、演奏し続けてきた。
『レット・イット・ビー』コンサートとアルバムのためのセッションは、映画『Get Back』で描かれるとおり、通称「ホワイト・アルバム」(『ザ・ビートルズ』)の収録が終わってからわずか数週間後に始まっていたのだ。
『レット・イット・ビー』のあとに出たアルバム『アビイ・ロード』は、ポールが主導権を握っていることが最も明確なアルバムだ。
ポール・マッカートニーの偉大な業績
ビートルズ解散後も、マッカートニーは走り続けた。ファンや評論家の多くはビートルズ時代の彼の作品を好んだが、彼の業績全部をみれば驚愕させられる。
プロデューサーのジョージ・マーティンと一緒に仕事し、技術的な経験はなかったのに、レコーディングスタジオの使い方をマスターした最初のポピュラーミュージシャンのひとりでもあった。
クラシックのオーケストラのための作曲方法も学び、好評を得た「心の翼」など壮大な合唱曲もいくつか書いた。
声域は4オクターブに及んだこともあり、史上最高のベーシストのひとりに数えられている。
アバンギャルドを学び、ジョン・ケージやカールハインツ・シュトックハウゼンの思想をポピュラー音楽に取り入れる役目も果たした。
マスク、ベゾス、ゲイツと並ぶマッカートニー
英国リバプールの極貧地域で育ち、作詞作曲の印税、コンサートの収益、他人の楽曲使用権への賢明な投資で音楽界で最初の億万長者になった(最初の妻から遺産をもらってもいる)。
70代後半になってもなお2時間半のライブショーをこなし、パンデミックになってようやく足止めをくらったというくらいの勢いを保ってきた。
マッカートニーは完璧なマネージャーではなかった。『Get Back』で示されているよう
に、ハリソンに厳しく当たり過ぎたときもあり、それでハリソンがビートルズを脱けると息巻いて、バンド全体がなお不満を抱く羽目にもなってしまった。
ソロ活動で、並み以下の作品を出したこともあれば、それほど才能がない部下に甘過ぎたこともある。
偉大な創業者や経営者のお歴々には、イーロン・マスクやジェフ・ベゾスやビル・ゲイツといった人たちが当然ながら名を連ねている。だが、そこには世間が思うよりもっとたくさん、いろいろな人がいて、ポール・マッカートニーはその頂点にかなり近いところに君臨しているのだ。
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