僕は社会人になって楽しく過ごすための秘訣は何かということを考えたときに、真っ先に「勉強をする習慣をつけること」だと思っている。
その理由について言語化したときに、幾つもの回答が思い浮かんだ。
しかし究極、人生の目的は「幸せになること」ということを考えたときに、結局、若いうちに勉強を習慣化することが幸せに繋がっていると信じているからだ。
その理由はなぜ?ということを今回は解説したい。
ちなみに今回の記事について、自分が幸せと感じる価値観はかなり主観的なところが多いので、共感できないよっていう人が多いかもしれないけど、それは了承いただければと思う。
知識がない状態で仕事をして何が楽しいん?
人は人生の半分以上を仕事する時間に使う(多い人は7割くらいかも)という前提に立っときに、いかに仕事をしている時間を楽しい状態で過ごすか?ということがテーマになると思っている。
その中で、僕が信じていることの一つは、わからない状態でどんなにアウトプットしても、それはわかる人がアウトプットする状態よりも楽しいと思えないということ。
つまりどういうことか?というと、英語の読み書きがわからない人がアメリカに行って旅行をするよりも、語学が堪能な状態でアメリカに行った方が絶対に楽しめるし、美術の知識がある状態で美術館を行った方が絵のことを何にもわからない状態で美術館に行くよりも絶対に楽しいはずだ。
僕は昔、アベンジャーズという映画を観に行ったが、それまでマーベル作品を観たことがなかったので、一ミリも楽しいと思えなかった(そもそも、話の内容が意味不明と感じてしまった)。
でも、それはアベンジャーズが面白くないのではなく、マーベル映画の知識がない自分が行ったからそう感じただけだ。(実際、その映画は大ヒットしている)。
ということを考えたときにビジネスの読み書きがわからない状態で、日々ビジネスマンとして仕事をしていることが楽しいのか?というと苦痛でしかないじゃん、っていうのが僕にとっての考えなのだ。
仕事をしている中で知識をつければいいじゃん、という意
見に対して
ということを言っていると、一定の人が「仕事で知識をつけられるから、それで楽しくやってるからいいじゃん」という意見があったりする。
正直、何もわかっていない。
それはファッションの「おしゃれとは何か?」がわからない状態で、街を歩いておしゃれな人をたくさんみて、おしゃれになれると思っているのと一緒だ。
確かに街でおしゃれな人をたくさん観察してオシャレを学ぶことができる。 ただし、それはおしゃれの定義やファッションの基本(フレームワーク)を知っている人だけだ。
つまり最低限の型となる知識がないと、そもそも、どんなにアウトプットしても上達はしないのだ。
別に知識さえあればいいとも思っていないし、アウトプットをしないで結果を出すことはできないので、その重要性は僕自身も認識しているつもりだ。
でも、順番を間違えるとただの自己満足になって、成長が思ったよりもできない事態に陥ってしまうので、ぜひこの点は気をつけて意識をしてもらえればと思う。
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