今回は英紙「ガーディアン」によるインタビューの記事を紹介する。内容としては、バージニア大学名誉教授のブルース・グレイソンが、約半世紀にわたって「臨死体験」を研究してきた中で共通している「感覚」についてだ。
グレイソンは1960年代、精神科の研修を始めて1ヵ月が経とうとする頃、「病院のベッドで意識不明になっている間に、自分の身体から魂が離脱していた」と主張する患者に遭遇した。そして、この患者はのちに、「別の空間で」起こったというその出来事について、正確に描写したのだった。
当時、彼はきっと誰かが患者に入れ知恵でもしたのだろう、と考えた。「身体から離脱するなんていったいどういうことなのか、意味がわからない」と思ったのだ。
半世紀にわたる情熱
それからずっとグレイソンはそんな話は忘れてしまおうとしたが、死に近いと思しき状態になってから生に引き戻されるまでの間に、あの世に行ったかのような体験をした人々の強烈な話を、彼はたびたび聞くことになる。
しかしグレイソンの同僚だったこともある精神科医レイモンド・ムーディが1975年に『かいまみた死後の世界』で、この手の体験を「臨死体験」と呼んだ。そのとき初めて、彼が出会ったその患者一人だけの問題ではないと思ったのだという。
人はなぜ臨死体験に惹かれるのか
臨死体験は新しい現象ではない。プラトンによれば、ソクラテスも体験したというし、大プリニウスも自らの体験を記録に残している。また、崖から落ちた登山家が恐怖よりも至福を感じたという例は、歴史上にたくさんある。
しかし、私たちは今なお変わらず、臨死体験の意味を知ろうと夢中になっている。ポピュラーカルチャーのなかにも、臨死体験のモチーフはふんだんに散りばめられている。
それはなぜか?ということを考えたときに、コンピュータ中心のこの時代、私たちは「正しく」生きるように促す物語をもてはやす傾向にある。
よくあるのは、あらゆる瞬間に感謝し、ありのまま受け入れること、それに権力や名声や物質的な豊かさを求めるよりも、経験や人間関係を大切にするといったことだ。
誰もがそのように生きられるわけではなく、私たちの多くはそういう生き方をしていないわけだが、それでも、この世での貴重な時間をむだにしないように、正しく生きるべきだとは感じている。
それゆえ、私たちは臨死のモチーフがある物語に心惹かれるし、文化のなかでそのような物語が好まれ続けてきたのだ、ということが結論らしい。
共感できるかどうかはあなた次第だが、ぜひともこの点について一度考察することは時間の無駄ではないのではないだろうか?
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