最近の口癖で、タイトルにある通りアスリートなどの「プロ」と呼ばれている人たちと同じ感覚で仕事をすると、飛躍的な結果が出るよ!っていうことがある。
これは僕にとっても毎日意識するべきことで、非常に好きな考え方だ。
「プロ」と呼ばれる仕事をしている人たちは何に対してお金をもらっているか?というと「成果」に対して報酬が支払われている。
例えば野球選手でいえば試合でどれだけの結果を出すことができたか?ということに対してだし、ピアニストについてはコンサートでどれくらいの腕前の披露ができるか?ということに対してお金が払われる。
でも、彼らは試合やコンサートの時間よりも練習することに多くの時間を割く。つまり成果を出すために自ら練習をするよね。ちなみに、そこに報酬は発生しているか?というと、当然だが練習自体に対しての報酬は出ない。
僕はこういう状態やマインドで会社員が仕事を捉えたらどうなるだろうか?ということを考えてみて欲しいのだ。
就業時間は試合みたいなもの
会社員にとっては就業時間こそが試合みたいなもので、そこで成果を出すことが大事になるのだが、果たしてそれ以外の時間でどれだけ「練習」に相当するものに時間をかけているだろうか?
おそらく多くの人にとっては、就業時間の方が圧倒的に多い時間を過ごしているのではないだろうか?
まあ1日に占める割合が大きいので、なんともいえないけれど僕はどう思うか?というと、やっぱりアウトプットの質は圧倒的にインプットの量で決まると思っている。
ということを考えた時に仕事で人は成長するかもしれないが、同じ空間で同じ時間を過ごしている同僚や同期とは、そこで差をつけることはできない。
それ以外の時間を何に使うか?ということが大きな差になってくるのだ。
プロは成果が明確だけど、日本の会社の評価制度はそうなっていない
ただ企業側にも問題はある。
それは特に日本企業についてはそうだが、成果というものが明確ではないということだ。
それなので、実力が伴わなくても評価がされてしまうという問題が起こり、その結果として実力を上げるための努力をすることが馬鹿らしくなってしまうのだ。
プロの世界では結果は実力に伴うので、ごまかしをすることができない。 ランニングの練習をしないでサッカーの試合に出ても活躍することはできないし、野球選手が実力を上げずにヒットを連発することは難しい。
だからこそ、自分自身に嘘をつかないで日々の練習に励むことの重要性がわかるのだが、会社員については実力と評価に乖離があるので、要領よく振る舞っていれば、その場は取り繕うことだってできる。
ただこれから、ますます成果を求められる時代になってくると、今までの金メッキが剥がされるというようなことが起こってくるだろう。
そうなった時に自分はどうなるか?ということをよく考えることが大事だと思う。
やっぱり人生は長期戦。帳尻合わせなので、ぜひ努力をすることを厭わないで日々の仕事に取り組んでもらいたいと思う。
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