最近、とってもよく考えることがある。それは楽して成功することはあるのだろうか?ということ。
結論から言うと、楽して成功し続けられることはないという答えになるのだが、その理由はなぜか?ということを考えたときに人間の器は試練を乗り越えていくことでしか大きくならないからだ、ということになった。
そして、人間の器の大きさが成功の大きさと成功の継続性を左右するということを考えたときに、人は試練を受けてそこに立ち向かうことが必須の条件ということになろう。
コース料理を食べないと次のステージにクリアすることができない
僕より早くチャレンジしてきた人や後にチャレンジした人を観察するとよく分かるのだが、みんな「OO」という試練を乗り越えたら「OO」という新しい試練がやってくるというように、人間である限り起こりうることは同じだな〜ということを感じるのだ。
つまり、コース料理みたいなもので、前菜・副菜・メインディッシュというように、試練を超えるとまた新しい料理が出てくるというような感じだ。
そしてそれを食べ終えない限りは次のステージにいけないということ。
なので、「いや、僕は前菜に興味がないんでメインディッシュをよろしく」というわけにはいかない。
その人の器に合った試練がやってきて、それを乗り越えたら、それにふさわしい試練がやってきて、、、ということを繰り返す過程で、成功する人にふさわしい人間性を身につけていくことになる。
逆にそういうのをすっ飛ばして、まぐれでお金や権力を持った人は大体破滅するというのは承知の通りだ。
宝くじに当たった人の1/3は当選して数年後に破産することがあるように、器以上のお金が入ったら、その器が決壊して元々持っていた資産すらも取り崩すことになるのは目に見えている。
後ろめたさはやっぱりあるよね
ということを考えたときに僕はどう思うかというと、まだ全てのコース料理を食べた訳ではないけど、最初の料理を食べた身としてはそれを食べさせることに抵抗はある。
なぜなら、それらの料理は死ぬほどまずいし、吐きそうになるから。
つまり過去に僕が成功を目指す人が直面する試練やキツさを味わった経験から、それを他の人が同じようにチャレンジしようとすると同じようなことになるということがわかっている故に、それを軽々しく「やれば!」ということはいえないというのが本音だ。
ただ、人生を変えたいとかそういう試練に直面してでも自分を高めていきたいという人だったら、そこは絶対に通過せざるを得ないものであると思うので、心の底から応援はしていきたいと思う。
今回の内容はどちらかというと、そういうことを経験してきた人だったら、僕が言わんとしていることは比喩を通じてなんとなく分かると思うけど、そうじゃない人はピンとこないだろう。
でも、いつかその真意というのがわかればいいのかなって思ったりしているし、数年後この記事を僕自身も読み返してみたいなということを感じる。
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