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執筆者の写真Shunta Takahashi

現実を視よ!

今まで何かしら目標を立てて、それに対して行動をする事が日課になっているゆえ、常に自分と向き合う事が求められてきた。

それをしているとつくづく感じることは「めっちゃきつい」っていうこと。

正直、短期的には自分が楽な選択肢をする方がいいかもしれないし、家でゴロゴロする時間を作ってリラックスする事ができる人がうらやましく感じたりする(時間がないというわけではなく、昔から何もしない時間というのが存在することに耐えられないだけ)。


でも、そういう習慣ができたおかげで良かったことは何かというと、現実と向き合うという事ができるようになった事だと思う。



なぜそう思うかというと、希望的観測をあたかも現実のように思い込みたい人が自分の周りに結構いて、そういう人って意外と多いんだなっていうことに気がついたから。


僕自身も希望的観測を抱くことはないと言えば嘘になる。でも、それなりに現実的に物事を判断する癖がつくようになったと感じている。



シミュレーションを外しまくった結果


その過程として、じゃあ僕自身は何をしたかというと、目標を作りフィードバックを得て、ということを繰り返した。


例えば7〜9月までにOOという目標を達成する!そしてその振り返りと10月にする、とい

う具合だ。

特に個人で仕事をしていると、会社から何かを与えられるわけではないので、そういうものは自分自身で設定する必要がある。


その目標設定は過去の経験と未来で得たいものを総合的に判断して作成するわけだが、これがいっつも想定を下回るということがある。


つまり自分がOOという目標を設定して、クオーターごとに振り返ると全然達成できていな

いという事が繰り返される。


そしてなぜそうなるか?ということを考えた時に、当初の目標設定の試算の仕方が甘かったという結論になるのだけど、それが未来の得たいものがあまりにも大きすぎるためにそういう事象が起こってしまう。


また未来の得たいものが大きい時に現状の延長では達成できないとは薄々気づいていながら大した改善をするわけでもなく、日々の日常を繰り返すという事が起こるのだ。

そりゃ、目標なんか達成できるわけないよね。


下方修正する勇気


またクオーターの途中で下方修正する勇気も必要だということも思うのだけど、その理由も希望的観測からくる。


なぜならクオーターの途中で目標が遠いという事が分かっていると、今のネタや確度が低いものでも、それが成約になるという希望的観測を抱いてしまい過大に評価してしまうのだ。

これによって、過大評価したものに期待を込めてしまうので元々成約ができないものと分かっていたら全然落ち込まないものでも、成約できるという評価になってしまう事で、成約できなかった時にショックを受けてしまうという事が起こり、メンタルが落ちる。


つまり自爆するのだ。


僕はそういうことを過去の経験からとてもとても多く学んできた。それなので、そういう事態にハマっている人を見ると、「穴から這い上がるには結構なメンタルが必要だよ」って投げかけたくなる。

それなので、今回はnoteを書いたわけだけど、そういう人が見るかどうかはわからない笑笑

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