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執筆者の写真Shunta Takahashi

本質を見失わないことについて

最近、自分自身を褒めてあげたいな!って思う過去について思い出したことがある。それは高校3年生の時に大学をどこにするか?についての決断についてだ。


僕は中央大学の附属だったので、正直高校に入った時から大学に行けることはほぼ確定していた。でも、テストでの成績が良かったので当時の担当の先生からは国立大学も受けたら目指せるのではないか?ということを言われていたのだ。


僕としては結果として、その大学を受験することをせずにそのまま中央大学に進んだわけだが、その理由について今から思うとゴール思考を実践していたんだなっていうことを思ったのだった。


そもそもなぜいい大学に行くか?ということを考えたことはあるか?


僕は当時、いい大学に入る理由としては就職活動で足切りをされないためだった。


今でも大手企業のエントリーについてはMARCHとか早慶で足切りする会社は結構多い。なぜなら企業の人事として数千件にもわたる応募の中から一つ一つを吟味することは現実的ではなく、どこかでボーダーラインを引かないと回らないからだ。


だからある程度のレベルの大学に行かないと、そもそもバッターボックスに立てないのではないか?ということを思った。また同時に、一度バッターボックスに立つことができたら、それ以降の学歴の意味って何だろうか?っていうことを思っていたのだ。


ということを考えた結果として中央大学の法学部だったら、基本的には大手企業の面接に進むことができるだろうっていうことを感じ、それ以上の大学に行くために時間とお金をかける必要はあるのか?っていうことを考えて結果として内部推薦で大学に行くことを決めたのである。


つまり自分の中で学歴の目的を考えて、それを得るためのコスパを考えて最善の選択肢を選

んだのである。


学歴にはそのほかの価値はあるけどね笑


ということを考えての大学選びを高校生の当時からできていたということについては褒めた

いっていうことなのだが、、、


ただ今思うと学歴の価値は人脈(在学中や卒業後のアルムナイ)の方がもっと重要だということを思ったりもしている。

やはり人間は環境に染まる生き物なので、大学の立地や校風次第で自分自身の考え方や生き方を刺激されることになる。


その点においては中央大学は・・・なのだが笑 ただそのことを気づきもしないので、仕方がない!と自分では割り切っている。


また、もし人脈や立地を目的とするなら某国立大学ではなくて慶應大学を受けているから、いずれにしろ国立大学は受けなくて正解だったとは思っているが笑

とにかく、転職とか資格とかも同様に結果として何が大事なのか?という目的を常に意識することをしないとだめだよ!っていうことを言いたかったのである笑

そのために過去の自分の事例を紹介してみました!笑





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