あるスラム街に少年がいました。 その少年はすごく勉強熱心で学校に行ける余裕がなかったものの、数学の勉強を毎日何時間も解いていました。 大人になった少年は数学を解いている中でとある法則を発見しました。その発見は彼にとって非常に驚くもので、すぐに他の人に伝えていきました。 「僕はすごい発見をしたんだ!こういう法則を当てはめれば、どんな数字を入れても解答をすぐに導くことができるんだ」 それに対してある人が言いました。 「あ、これ2次方程式だね。中学校の時に習ったよ。逆に知らなかったの??」
この話を知っているだろうか?
つまりここではなにが言いたいか?というと、もし僕たちが学校で2次方程式を学ばなかったら下手したら一生かけても、その法則を導き出すことができないということだ。
知っているか?気づくか?
つまり僕たちは生活をする中で世の中の真理というものに気づくことがある。しかし、その気づきだけで人生を全うしようとしたら300年くらいかかるのではないだろうか?
僕は本を学生時代から年間100冊以上読む中で感じたこととして、すでに世の中で明らかに
なっている真理や法則(ルールなど)は知識として早いうちから知っていた方が絶対にいいと思っている。
なぜなら時間は有限だからだ。それなのでわざわざ、その真理を気づくことをしようとしたら数十年の時間がかかるものを、2時間その経験をした人から話を聞く方がめちゃくちゃ効率がいいし、新しい真理を発見することに時間を費やすことができる。
それなので、できる限り知識として蓄えておくことの価値は計り知れないのだ。
なんでも自分でやりたがる人
そいうことを話すと「当たり前だよね」っていう反応をする人がいるが、僕がこの記事を書く理由は当たり前だと頭でわかっていながらも全部自分でやろうする人があまりにも多いからだ。
人に質問したり相談することが恥ずかしいのか、プライドが邪魔をするのかわからないけど、自分でやって勝手に失敗している人をたくさん見てきた。まあ失敗すること自体は悪いことでもないし、チャレンジすることに意味はあると思う。
でもその内容が問題なのだ。こちらからすると「そんなしょうもない失敗する時間あったら他の失敗しとけよ」っていうような既に経験してきた人から見たら超初歩的な失敗をして落ち込んでいるのを見ると、人生無駄にし過ぎって思うのは僕だけだろうか。
僕が超合理的な人間で、生産性のない時間を過ごすことが好きではないので、このような考え方になってしまうのであるが、どうせ経験するなら人生を豊かにすることに時間を使いたいものだ。
そうするためには先人の知恵を借りて時間のレバレッジを活用する必要があると思っている。
それなので、なんでも自分の意思でやりたがる人はぜひ立ち止まって先人の知恵をうまく使
うことを意識するといいのではないだろうか。
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