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執筆者の写真Shunta Takahashi

知識がないと分からないことすらも分からない

インターネットが出てきてから、分からないことがあったら何でも調べられるから知識とかは重要ではないという風潮が世の中的にあるのではないかと感じている。


それに対して僕はどう思っているかというと「バカなことを言うな」。 知識は全ての学習のベースであり、それがないと考えることすらもできない。


確かにインターネットが出てきてから知識の優位性だけでは勝てなくなった。考える力やいかに知識を使ってアウトプットするか?ということが重要になった。


だからといって知識が必要ないということでは全くない。 その理由について、これからトコトン述べたいと思う。


知識がないと視野が狭い状態になり、調べる対象も狭くなる


まず知識が大事な理由としては、タイトルにも書いてある通り「知識がないと何も調べることができないから」。


そう。人は知識がないと情報へのアンテナを立たせることができないので、知識がある人が気づくニュースに何も反応しない。


最近あった事例でいうと、先日レナウンが民事再生を申請したというニュースがあった。僕はそのニュースを見た時に、この会社が約10年前に中国のアパレル大手の山東如意グループに買収されたことを知っていた。


そこで「山東如意 レナウン」と調べると、以前から関係が微妙だったことや買収してからもうまく事業を軌道に乗せることができていない、という記事を見つけることができた。

しかしレナウンが山東如意グループに買収されたことを知らなかったら、そういう検索の仕方をすることはなかったと思う。そもそもレナウンが元々アパレルの超大手企業だったことを知らないと、その記事に興味すら持たなかっただろう。


ちなみに、この山東如意は伊藤忠から出資を受けていること、元々アパレルのOEMから始まって、様々な企業を買収して中国のLVMHと呼ばれているので、さらに深ぼって調べると

面白い(伊藤忠は中国との関係が非常に強く、また繊維事業は伊藤忠の花形だ)。


ということで、知識があると色々なことに気づくし好奇心を持つことができる。しかし、それがない状態だと調べるという行為すらしないので益々知識を得る機会を失ってしまう。


人生がこんなに面白くなるとは思わなかった


僕はその事実に大学1年生の時に気づき、友達と遊ぶ暇を惜しんで、本を読んだりして知識を詰め込みまくった。とにかく何でも知識として吸収できるものは吸収したろう!という気概でいた。


今になって思うことは本当にその決断をしてよかったと思う。 なぜなら、日常を見回すと色々なことに気づけるので、考えるネタがたくさん転がっているのを見ることができるからだ。


街を歩いてもニュースで調べものをしていても、好奇心が湧いてより一層調べたい!もっと知りたい!という状態になっている。

それなので人生が残されている限り学習をする手を止めないし、これから10年後に自分はどんな景色を見れるだろうか?ということを楽しみにして毎日を濃密に過ごしていきたいと思っている。

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