歳を取っていくことのいいことと悪いことがあると思うのだけど、最近思うこととして若い時はかなり敏感だったなっていうことを感じる。
どういうことかというと、いい意味で「心配性」というか、OOになったらどうしようという危機意識が強かった。
例えば学生時代で言えば受験に落ちたらどうしよう、就活で内定もらえなかったらどうしよう、また太ったらどうしよう。
つまり先行きに対して過剰に悪い未来を想定してしまっていた。それが今思うと逆に良かったと思ったりもする。なぜならそういう未来を想像した時に絶対にそうなりたくない!という強い意志とエネルギーが出ていたからだ。
その結果として飛躍的な成長や結果を出すことができた気がする。
歳を取った時に出てくる深層意識「まあ、いいか」
しかし年齢を重ねていくと自分のそういう意識が鈍くなっていくのを感じつつある。例えば何か目標を決めて達成しようと頑張るのだけど、それがダメだったとしても「まあ、いいか」。体調に気をつけていたはずだけど夜遅く食べて太ったとしても「まあ、いいか」。
つまり、変に達観するようになるのだ。それは自分の精神を守るために人間に備わっている機能なのかもしれないが、それを自分自身が実感していくプロセスを通して思うこととしては「こうやってどんどん感覚が鈍くなっていくのかな」ということ。
そしてできれば、自分の感覚は常に敏感な状態でいたいと思う。
なぜなら、そういう不安というのは自分の普段の意識では考えられないくらいのエネルギーを発することができるし、大きな成果を出すことができるからだ。
逆に「まあ、いいか」の精神になると本当に自分の人生に妥協しかなくなる。たとえ今の状態に満足じゃなかったとしても仕方がないとか他の人もそうだし、、と逃げの姿勢になってしまう。
そうなると自分を成長させるために追い込む努力をしなくなる。その結果として本当の意味で歳をとってしまうのだ。
常にワクワクひやひやする環境に自分を追い込むこと
それを自分でも認識しているので、できる限り自分を行動しないと死ぬ!という状態に追い込むようにしている。
多くの人は頑張ります!とか決意しました!とかいう訳のわからない宣言のもと、決意を新たにしようとするが、大前研一さんもいう通り人間が変わるための行動として最も愚かなことが「決意」することだと思う。
時間配分、住む場所、付き合う人というように自分の環境を変えないと人は絶対に変化できない。モチベーションだけで変わった人を僕は見たことがない。
それなのでぜひ自分を追い込む環境に身を置く、そこで鍛えられるということを経験して欲しいと思う。その結果として得られる対価はとてつもなく大きいと思うから。
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