タイトルに書いてあることを、ある本で解説している内容を読んだときに僕はどう思ったか?というと、「なるほど!」の一言に尽きた。
その本に書いてある主張によると、昔の時代においては最初に付き合った人とそのまま結婚して幸せな状態を維持することは十分可能だったし、むしろそういう結婚をした方が離婚する可能性が低かった。でも今の時代では、あるものの発達によって、最初に付き合った人と結婚することのリスクが出てきた、とうことを解説していた。
そして、この内容の本質にあることは結婚に限らず、転職など様々な場面でも応用することができる。また今の我々を取り巻く情報がどういったものか?ということを考えることができる契機になるのではないか、と感じている。
SNSの性質を知るべし!
どういうものの発達かというと、それはSNSだ。 今はSNSを通じて他人の人生のライフイベントを垣間見ることができるようになった。
その結果どうなったかというと、人は好むと好まざると、より一層他人と比較をする時代になったのだ。しかしその比較自体が現代においては歪んでしまうことになった。
なぜならSNSの性質として基本的にはいい部分しか投稿しないから、今の自分の現状と比較したときに凄く劣ってしまうと感じることになるからだ。
僕もそうだし読者自身も同じかもしれないが、基本的にSNSは愚痴よりも楽しいイベントとかの方が圧倒的に多く投稿する。そして、それを見たときに、あたかもその人の日常がいつも楽しげに映ってしまう。
その結果として、今の配偶者や働いている企業が惨めに思えてくるようになるのだ。
付き合ったことが1人しかない人は自分の過去の比較対象がないから、今付き合っている人がダメに思えてくるし、新卒でずっと同じ会社にいる人は隣の芝生が青く見える。
しかし、もし自分が10人と付き合っていたり、転職を何度も繰り返していれば、SNSの投稿を見てもこれがずっと続くわけではないし、裏では結構大変だということに気がつくことができるので、SNSを影響を受けることは僅少で済む。
だからこそ、今の時代は様々な経験を通して自分自身の立ち位置を客観的にみることができる能力が大事なのだ。
自分自身の内面と向き合うこと
逆にいえばSNSを全く見ないし、そういう人を羨ましいと思わない人は、上記の経験をしなくても自分の核を持っているのでそういうことをしなくてもいいと思う。
ただ多くの人は自分自身の毎日が幸せな生活なのか?恵まれているのか?ということを他人を通じて比較することになるので、結局そこに影響を受けてしまう。
ということを考えたときに、究極的に幸せな状態というのは、他人の芝生を見ながら自分の芝が一番青いなって思える毎日を生きることだと思う。
どうしても、他人に影響を受けまい!って思う人は、相手のネガティブな部分に焦点を当て
て自分を護衛してしまう。それなので相手がうまくいくと、嫌な気持ちになるのだ。
それよりも、相手を認めつつ、自分の人生はまた来ても同じような決断をするな〜!って思える1日を積み重ねた方が凄く建設的だと思う。
だから、今回の内容について当てはまるなあって感じる人はぜひとも今後の指針へのきっかけにしてもらえればと思う。
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