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執筆者の写真Shunta Takahashi

結婚観も独特! インド映画が頑なに守る恋愛ドラマのとある法則【クーリエ・ジャポンからの抜粋-Vol.78】

インド映画はしばしば、「あらゆる娯楽要素が詰め込まれている」と評されるが、その数ある娯楽要素のなかでも絶対に欠かせないのがロマンスである。どんな映画にも少なくとも1人はヒロインが起用され、ヒロインが起用される以上、ヒーローと恋に落ちるのは自然の成り行きだ。


現実世界のインドでは、まだまだ恋愛結婚は一般的ではなく、親の決めた相手と結婚するアレンジド・マリッジが主流である。どういう相手との結婚がアレンジされるかと言えば、同じ宗教、同じカースト、同じ言語文化を共有する相手である。


結婚は家と家同士の結びつきであるから、どうしても、宗教やカーストなどを越えた結婚になりがちな恋愛結婚は家族から反対されることになり、恋に落ちた若い男女の前には多くの壁が立ちはだかる。


若者自身も家族の意向を最優先に考える傾向にある。仮にあらゆる愛情を同質なものと考えるならば、つい最近出会った恋人との間に培われた愛情の量は、10年、20年という長い歳月の間に家族から受けて来た愛情の量に比べたら、取るに足らない。


よって、インドでは、家族の反対を押し切ってまで恋人と結婚するという選択肢を選ぶ者は少ない。こういう訳で、恋愛相手とすんなり結婚できるインド人は一握りだ。だが、ファンタジーを描き、ハッピーエンドを重視するインド映画では、一度始まった恋愛は紆余曲折を経ても最終的には結婚でもって成就することが多い。

では三角関係はどう表現する?

インド映画において、恋愛と結婚の関係は非常にシンプルである。恋のライバルがいない、単純な男女1対1の恋愛の場合は、結婚に終着するのが普通だ。では、三角関係の場合はどうか。そこに結婚が関わる場合、絶対的な法則がある。

その法則とは、「結婚の前の恋愛は恋愛が勝つが、結婚の後はどんな恋愛にも結婚が勝つ」である。


たとえば、男女が恋に落ちるが、何らかの事情で簡単には結婚ができない状況に陥るとする。


恋に落ちた男性と女性、そして女性の結婚相手となるべきもう1人の男性、つまり許嫁。その3人が恋愛の三角関係を構成する。この場合、もし、映画中で女性と許嫁の結婚の儀式が描写されてしまうと、インド映画の世界では、一度成立した結婚を死守しようとする非常に強い力が働く。


女性はやがて元恋人よりも現在の夫の方に好意を抱くようになり、もともとあった恋愛は成就しない。もしくは、恋に落ちた2人のうちの片方または両方が死によって禁じられた恋愛の「罪」を償うことになる。


不倫においてもそうで、インド映画は「元さや」が基本である。正式な手続きを踏んで夫婦となった男女は、たとえW不倫をすることになっても、別居や離婚することになっても、最終的には巡り巡って元の配偶者と結ばれる。これも、結婚を神聖視するインド映画独特の価値観・道徳観の産物である。

それでも不倫モノを描きたい

21世紀は、インド映画がこの法則を打破しようと必死にもがいて来た世紀でもあった。たとえば、「Kabhi Alvida Naa Kehna(さよならは言わないで)」(2006年)というヒンディー語映画は、既婚の主人公が不倫の末に不倫相手と結ばれるストーリーであった。

海外市場ではヒットしたものの、インド本国では酷評され、興行的にも振るわなかった。まだこの時代は、不倫を認め、結婚という制度を蔑(ないがし)ろにする物語はインドでは認められなかったのである。


だが、それでもこの法則を打破しようとする挑戦はその後も散発的に続いた。一度結婚した男性または女性が、結婚相手以外と最終的に結ばれる、というストーリーがさまざまな形で提示され、なかにはヒットする映画も出て来た。


こうして、いつの間にかインドでも、多様な男女関係の在り方が認められるようになった。つまり、現在、説明した恋愛映画の法則は、既に絶対的なものではなくなっている。既婚・未婚にかかわらず、男女の間では何でも起こり得る。


それでも、登場人物を結婚や家族に引き戻そうとする見えない力が働いているのを、インド映画から今でも感じることはできるだろう。

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