小学校時代、中学校時代に僕が一番苦手だったイベントがある。 それは卒業の時に将来の夢を書くという作文。
当時やりたいことなどなかったし、周りで野球選手とかサッカー選手を目指している人を見てすごく羨ましいという気持ちがあったし、自分がそういう夢を持てないことがコンプレックスだった。
これは大学卒業まで続いた。
就活の時もやりたい仕事なんかなかった。ただ社会で必要とされる人間になれば生きてはいけるからそういう仕事、また世間体がいい仕事に就きたいっていう、完全に消極的な理由だった。
しかし今は、同年代の多くの人が「やりたいことがない」ということで頭を悩ませている傍ら、やりたいことが山のようにある自分を思ったときに、何が違いを作ったのか?ということを考えるようになった。
そして、わかったことは「夢」というものの捉え方を自分が変えたからだということに気がついた。そして、この考え方を身につければ誰でも夢を持つことができる、ということがわかった。
自分が「夢」「やりたいこと」と思っていたこと
どういう捉え方になったかというと、僕は「夢」というものを「なりたい職業」と勘違いしていたのだ。
つまり僕にとって「将来の夢がない」という意味は、すなわち「なりたい職業がない」とい
うことだったのだ。
そこで、発想を転換した。
夢=どういう生き方をしたいか?という問いに変えたのだ。 そしたら滝のごとく出てくるようになった。
・毎朝、ハワイのオーシャンビーチを背にして朝を迎えたい ・ホテルの朝食ビュッフェを制覇したい ・好きな時間にジムに行ってワークアウトをする時間が欲しい
正直、仕事と関係ない夢は無限にある。
僕はそこでふと思ったのが、こういう夢を実現するための手段が「仕事」なのではないか、と。
これがわかったときに、僕には夢がたくさんあるし、知識を増やせばもっと実現したいことは増え続けるということを確信した。
そこで僕は仕事に捉われずにやりたいことを考えたり、その選択肢を増やすことができるような知識を増やす機会に接することにしたのだった。
なぜ社会に出たらやりたいことがなくなるのか?
また社会に出たら、多くの人がやりたいことをなくしたり夢を持つことを忘れてしまうのだけど、それは現実を目の当たりにするからだろう。
「え、ハワイで1ヶ月住むとか無理じゃん」 「1億円の家は今の会社員の給料では買えない」
こういうことの連続で夢を持つことがバカらしい、無理なことを考えても意味がないという思考になっていって段々とやりたいことすら考えなくなるのだろう。
でも、それを持ち続けた人はそういうことができる仕事を探すし、最終的に選択することになる。
要は、そういう現実があったときに自分を変えようと思うかどうか?だ。
僕は常に「人生は一回で人生は短い」というコンセプトを自分の中で持つことで、人生が1回だけだったら欲張りたい。時間とお金に困らない人生を送りたい。そういうことを思い続けていた。
そしたら、その希望を叶える手段の輪郭が見えてくるし、それが実現できるようになるには?という思考回路に自然となっていく。
だから社会に出てまもない人は、必ず目の当たりにするだろう絶望を絶望で終わらせずに、希望に変えるには?という発想を持ち続けてもらいたい、そんなことを思うのである。
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