top of page
執筆者の写真Shunta Takahashi

思い込みたい!!

人が何かを決断する時に一般的に二つの要素から判断される。 それは「論理」と「情理」。

つまり事実などを元に論理的に筋が通っているかという面と、感情的に好きか嫌いかという情の部分のバランスだ。


この二つのいずれかをゼロして判断できる人はいないと思う中で、個人的には論理が決断をする上でかなりのウエートを占めており、そうなった時に情理の部分が強い人を見た時に、違和感を覚えてしまう。


なぜなら情理で判断する人の傾向として、自分が見たい現実しか見ないようになるから。それがかなり判断を歪めてしまうことがあるから。


ある学生時代のお話


僕は高校時代に世界史の教科書でタージマハルを見て、20歳までに絶対にこれを見にいく!って心から決めていた。そして19歳の夏にインドに行くことにした。


ところが母親が大反対。あんな危険な国行くのはやめろとの一点張り。 その時に人はイメージしたものの現実しか見ないんだなということを強く感じた。

以下、当時の会話を再現したいと思う。


僕:夏休みインドに行くわ!もうツアー申し込んだし、一人でも大丈夫だ 親:あんな危険な国に行くのはやめて。襲われたらどうするの? 僕:なにが危険なの? 親:よくテレビのニュースとかでレイプされたり、テロとかあるじゃん! 俺:人口、何人いると思ってたんだ?そんなの一部だよ。それに遭遇する確率よりも飛行機墜落する確率の方が高いで。なんでそっちを心配しないんだ!?

で、実際にインドに行ってどう思ったか? 確かに詐欺みたいな人はいっぱいいたし、とてつもなく汚かったけど、でもインド人が暴力的だとは1ミリも思わなかったし、逆に彼らの口が達者なのはいかに暴力に発展しないか?を考えた末だからなのかな?っていうことを感じた。


でも、親として自分は行ったことはないが、世間一般のイメージからインドに対して危険という「感情」を持っている。それなので、そう思いたいニュースばかり記憶に留めて、上記のような主張をする。


実際に3回目のインドに行った時に、時間がなかったのでビザのパスポートの受け取りを親

にお願いしてビザセンターまで行ってもらった際に、受付にぞんざいな対応をされて、それだけで「やっぱりインドは怖い」て言い出した。いやいや、そんなんで判断するな、って思ったけど人間というものは自分が抱いている感情を正当化したい生き物らしい。


情理で判断することは悪いことではないが、自分が見たいものしか見ないようにしていることには気づいとけ!


人間である以上、そういう状態になることは仕方がないと思う反面、もし自分自身が情理で判断してしまうタイプだったら、果たして自分は見たい現実しか見ないようにしているかどうか?というをメタ認知する能力をつけた方がいい。


例えば就職において行きたい会社があった時に、多くの人はその会社のいい評判を積極的に見ようとするし、逆に今の会社が不満で転職しようと思った時に、今の会社の悪口が書かれているサイトを見たり、「OO株式会社 ブラック」とかっていう調べて検索をしようとする。


そして、自分が感情的に一致する文章を見た時に安心して自分を正当化するのだ。

ということを僕は自分の経験や他の人の決断を見ていて、すごく思うことがあった故に今ではなるべく論理的な判断で下すように意識をしている。


自分が決断しようとしている時にどういう思考に基づいて判断しているか?ということをまずは認識した方がいいと思う。そうしないと、選択することがことごとく後悔の連続になるから。




閲覧数:0回0件のコメント

Comments


bottom of page