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執筆者の写真Shunta Takahashi

パンデミックで広がる「疲労症候群」──なぜ、私たちはいつも疲れているのか?【クーリエ・ジャポンからの抜粋-Vol.31】

新型コロナウイルス感染症は、社会がパンデミック以前から患っていた病状をいっそう激化させた。その一つが、過労だ。現在、私たちの誰もが何らかの形で疲労困憊している。そして、パンデミックの渦中で、私たちは普段よりさらに疲れ切っている。

成果主義のネオリベラル社会では、権威なき搾取がおこなわれている。成果を出し、自己搾取することを強いられた人は「主人」であると同時に「奴隷」でもある。


いわば誰もが自分のなかに「強制労働収容所」を抱えているのだ。この収容所の奇妙な点は、一人の人間が同時に囚人と看守、被害者と犯罪者であるということだ。

なぜ、私たちはいつも疲れているのか

新型コロナウイルスは感染者だけでなく健康な人も消耗させている。

テレワークは、オフィスでの仕事以上に疲れる。孤独な状態でテレワークを続け、一日中パジャマ姿でパソコン画面の前に座って過ごすと、人はへとへとになる。


社会的接触や他者との身体的接触に欠けることもまた、私たちを困憊させる。儀式の消滅がコミュニケーションなきコミュニティを生む一方で、今ではコミュニティなきコミュニケーションの存在が大きくなっている。


そして、サッカーやコンサートに出かけたり、レストランで食事をしたり、劇場や映画館に行ったりすることもなくなるり、ソーシャルディスタンスは、社会的なものを破壊する。ウイルスは「異質な存在の排除」を激化させるのだ。

私たちを殺す「疲労ウイルス」


ウイルスが作り出した異例の状況下では、「生」をただのサバイバルに変えてしまう状態でも、私たちは何も言わずに受け入れる。そして自発的に閉じこもり、自らを隔離する。

病理学的観点からみれば、21世紀初頭は細菌でもウイルスでもなく、神経の病の時代になるだろう。


鬱病や注意欠陥・多動性障がい(ADHD)、境界性パーソナリティ障がい(BPD)、そして燃え尽き症候群といった神経性の病が、今世紀初めの病気のパノラマを定義することになる。


鬱病は、疲労社会特有の症候だ。成果を強いられる主体は「もうこれ以上できない」と感じた瞬間から、燃え尽き症候群を患う。自分自身を相手に戦い、それに屈服する。そして、自らに宣戦布告するこの戦争での「勝利」は燃え尽きをもたらすのだ。


新型コロナウイルスは私たちの疲労社会に過剰な負荷をかけ、その病的なひずみをさらに深刻なものにしている。私たちを集団的疲労に陥らせる新型コロナは、「疲労ウイルス」と呼んでもいいかもしれない。


だがウイルスは、語源となった「危機(crisis)」でもある。つまりウイルスは、私たちに

生き方を変えるよう呼びかけ、この不安定な状況から逆戻りさせることもできるかもしれない。


私たちがこの社会を抜本的に見直し、「疲労」というウイルスに対する免疫を持てるような新たな生き方を見つけられたら、そのとき初めて、それが現実のものとなるだろう。


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