伯楽という言葉を聞いたことはあるだろうか?これは古代の中国で「馬」が名馬か駄馬かを見極める人のことを指していた。
その見極めについて優れている人は「名伯楽」と呼ばれていた。プロの世界で監督が埋もれていた選手の才能を見出して引き上げることができる人を名伯楽と指していたりするように今でも使われている用語である。
その中で面白い逸話がある。それは名伯楽は嫌いな人には「名馬」の見極め方を教えて、好きな人には「駄馬」の見極め方を教えていたというのだ。
このエピソードは非常に奥が深く、現代でも使える考え方ではないかということを感じた。
なぜ名伯楽は好きな人に「駄馬」の見極め方を教えるのか?
この話を聞いてどう思うだろうか?あなただったら絶対に「名馬」の見極め方を知りたいと思うだろう。
ではなぜ「駄馬」の見極め方を教えるのか?
その答えとして名馬は滅多に存在しないということがある。 世の中に本物の存在は滅多にいない。というのが理由だ。
それ故、伯楽は「駄馬」の中でも適材適所で使える馬と、本当に使い物にならない馬を見極める方法を教えるらしい。
僕はこの話を聞いた時に会社での採用というのにまさに当てはまるということを感じた。
この人は天才だ!というような社員って正直ほとんどいないと思う。天才だったら雇われないで、自分で稼ぐはずだから。
ということを考えた時に雇われて働いている人の多くは経営者の視点から見ると「駄馬」なのだ。でもその駄馬でも職種によっては才能を開花することができたりする。
ただ、本当に何をやらせても使い物にならないし、経費ばっかり無駄に使う社員もいる。それを面接などで判断することができれば、会社は持続的に成長していくことができると思う。
ということを考えた時に、まさに見極めるべき視点というのは「名馬」ではなく「駄馬」なのではないだろうか。
名馬を見極めるのは結構簡単だったりする
ちなみに補足しておくと、名馬を見極める方法は結構簡単だったりする。自分が名馬になれ
ば良いのだ。それによって相手が本物かどうかを知ることができる。
どういうことかというと、例えば知識について自分がめちゃくちゃ勉強して身につけたものを相手がそのレベルを知っていたとすると、その知識を得るまでの道程を自分が知っているので、相手が相当努力してきたことがわかる。
また筋肉をすごく鍛え上げられた人をみた時に自分もムキムキだったら、その人がどれくらいのトレーニングをしてきたかということがすぐに想像つく。
このように、自分が名馬になることでそのレベルがよくわかるので、まずは自分が名馬を目指す。そうすれば本物を見極めることができるだろう。
そして偽物の見極め方はかなり時間とテクニックを要するので、これはもう弟子入りするしかないいじゃないかなっていうのが僕の所感だ。
いずれにしろ見極める力は大事だよって言いたいんだよ。
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