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ルワンダ人行きつけのバーをのぞいてみたら、定番メニューはまさかの“牛乳”だった!【クーリエ・ジャポンからの抜粋-Vol.198】

ルワンダには全土でこのようなミルクバーが見られ、首都キガリだけで何百軒もある。この国では牛乳は国民的な飲み物で、ミルクバーはルワンダ人がしょっちゅう通う行きつけの場所。そこには牛乳を飲める喜びと、人々が触れ合える和やかな雰囲気が漂っている。


ミルクバーでは1日中、老若男女がベンチやプラスチック製の椅子に腰かけ、ガラスのマグカップで新鮮な牛乳を1リットル、また1リットルと飲んでいく。現地ではイキブグトと呼ばれるヨーグルトのような発酵した牛乳も人気だ。


飲み方の違いはあっても、ひとたびグラスを手にすれば誰もが社交的になり、くつろいだ表情を見せる。だが何よりもまず、彼らは牛乳ばかり飲む。それも、かなりたくさん。

ミルクバーがあちこちに現れたのはここ10年のことだ。だが牛乳そのものは、ルワンダの文化や歴史と長い関わりがあり、現代社会におけるルワンダのアイデンティティや経済とも結びついている。

牛と王国とルワンダ大虐殺

ルワンダでは何世紀にもわたって、牛が富と地位の象徴であり、友人や新しい家族への最も高価な贈り物だった。


王族でさえ、簡単に牛乳を手に入れたいと切実に望んでいたものだ。1961年に王政が廃止されるまで続いたルワンダ王国では、牛乳は円錐形に編まれた蓋つきの木製ボトルに入れられ、王の暮らす藁ぶきの宮殿のすぐ後ろで保管されていた。


牛はこの国の負の歴史とも無関係ではない。1994年に起きたルワンダ大虐殺だ。わずか100日間で80万人もの犠牲者が出たと推定されている。


犠牲者の大半はツチ族だった。彼らは牛飼いとして長い歴史を持ち、乳牛を豊富に所有していた民族だ。そのツチ族と牛たちがフツ族の標的となった。


その後、国家が虐殺から復興するにつれ、経済成長と栄養失調対策の手段として、ルワンダ政府は再び牛に注目し始めた。


2006年、ポール・カガメ大統領は、貧しい農家1軒につき1頭の牛を支給するギリンカ計画を導入。ルワンダの農業動物資源省によれば、これまでに38万頭の牛が支給されている。この計画には、民間企業や支援団体、インドのナレンドラ・モディ首相をはじめとする他国の首脳たちも寄与している。


カガメ大統領は政敵を厳しく弾圧することで知られるが、それにもかかわらず、ギリンカ計画は国中から支持を獲得した国家開発プログラムの一つだ。ギリンカは、ルワンダ語で「あなたに牛あれ」を意味する。


ミルクを襲ったコロナショック

その素晴らしい魅力とは裏腹に、ミルクバーと酪農業界全般は近年、深刻化する問題に直面している。

新型コロナウイルスの感染拡大で、ルワンダの酪農業界は打撃を受けた。政府がアフリカでトップレベルの厳格なロックダウンを実施したことが主な理由だ。


政府によれば、ルワンダの中小酪農ビジネスの半分以上がロックダウン中に廃業してしまった。国内最大手の乳業メーカー5社のうち3社が、稼働率21%~46%という状況だった。


気候変動も難題を投げかけている。近年、干ばつが頻発し、何千人もの人々が食糧難に陥ったが、餌と水が不足したことで牛の飼育も打撃を受けた。これにより、国全体が牛乳不足に陥った。


キガリのニャミランボ地区でミルクバーを営むイルミニー・カイテシは、昨年のロックダウンの影響で家賃の支払いに困るだけでなく、従業員に給与を支払うことも難しくなったうえ、家族を養うだけの黒字を保つことにも苦労している。最近の牛乳不足のせいで、バーの牛乳用クーラーの中も寂しい状況だ。


ワクチン接種者が増え、ロックダウンが解除されるにつれ、ビジネスは少しずつ回復の兆しを見せているものの、「今も状況はよくない」とカイテシは言う。


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