頭がいい人とそうでない人を見分ける方法
頭がいい人ってどういう人か?ということについて色々な本で書いてあったりする。
その中で知識があることや計算が早いことが頭がいいという意味を表しているか?というと必ずしもそうではないということがわかる。
じゃあどういう文脈か?というと多くの本では「抽象度を上げ下げできる人」と説明されている。つまり具体的な話を抽象化して転用して、というようなことができる人だ。
この点については前田裕二さんの「メモの魔力」という本に詳しく書いてあるが、ある事象が起こった時にその本質を抽出して、他の事象でも同じことが言えるのではないか?ということを考えて適用する。
そうすることで、実際に自分が経験していないものでも擬似的な体験をすることができるだけでなく、転用したものが今後どのような着地を迎えるかということがわかったりするのだ。
これを自然とできる人はすなわち頭がいいという意味らしい。
例え話や「OOと同じこと言えるよね〜」ということを自然と言える
それを相手ができているかどうかを見分けるのは結構簡単だ。それは例え話を使って話をできるか?ということ。そして「OOとOOって同じことだ」という話をよくしているかどうか、だ。
なぜなら二つは両方とも、具体を抽象化して転用することが求められるものだからだ。
逆にそれらを使いこなすことができないだけでなく、相手が「OOとOOは同じだよね〜」と言った時に理解できない場合において抽象化する能力が弱いということがわかる(相手の抽象化が誤っている場合もあるけど全てではないけど)。
よく僕が話をすることで、世界で最も成功している企業はキリスト教だということを言った
りする。
つまり企業と宗教は似ているということなのだが、その理由としてどちらも創業期において何もない状態から「ビジョンとミッション」を伝えて仲間を増やしていく過程や、最初は創業者(始祖)のカリスマ性が組織の根幹をなしているが、仕組み化を取り入れることで段々と大きくなるにつれて自分の手から離れ始めて勝手に運営されるようになっていくことが挙げられる。
ということを考えた時にキリスト教がなぜこんなに長く続くのか?ということを考えることは企業を永続するための重要なことが詰まっていると感じている。
この例が正しいかどうかわからないけど、それを言った時に人によっては「確かにそうだね」という反応が多い中で、全くピンとこない人がいるのも事実だ。というような反応を色々と受けていく中で抽象度の行き来ってすごく大事だなっていうことを感じる。
人生の限られた時間を有意義にする方法
なぜなら抽象化して転用することは時間の効率が圧倒的にいいので、それをしない人よりも多くのことを吸収することができるからだ。
人生が1度しかない中でできるだけ自分が経験しなくても学習できるものは、時間をかけないことが大事だと思う。
もし自分がこの点について苦手意識があるのであれば、トレーニングをすれば身に付けることができるので、ぜひ習得して欲しいと思う。
それができれば知識のレバレッジがかかりだすので、すっごく楽しい日々を送ることができるようになる。