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執筆者の写真Shunta Takahashi

人と人はなにで差がつくか?

僕は生きている限り人間は学習し続けるべき生き物だと思っているし、そうすることがより人生を豊かにするために必要なことだと感じている。


その上で現代を見回すとこれほど恵まれた時代はないんじゃないかっていうことを思うのだ。だってAmazonアンリミテッドに契約すれば1000円程度で本をいくらでも読むことができるし、Youtubeなどの教育コンテンツだったりアメリカの大学のオンライン授業であれば無料で視聴することが可能なのだ。


つまり20世紀の時代は学習するためのコストがかかってしまったため、どんなに勉強したくても、そのためには資金が必要だった。でも今は自分の意識次第でいくらでも学習することができる。


ということを考えた時に学習の機会によって差は生まれにくくなっているのだなっていうことを感じた。


じゃあ、実際に10年経った時に大きな差がつく要因ってなんだろうか?という問いに対してなんと答えるか?それが今回の記事のテーマである。


結局、最終的には行動ということになるよね!


今の20代の人たちを見ていると、僕の印象では30代や40代の人たちが20代だった時よりも勉強しているし、遥かに優秀だろうな〜っていうことを思ったりしている。


実際に空いた時間で少ない時間だったとしても勉強に充てている人は多いのではないだろうか?でもその中で同時に思うこととしてアウトプットを果たしてやっているのか?ということを感じたりする。


つまり、20代の人たちと話をする中で僕が結構深い話をしても付いてこれるだけの前提知識や学習意欲がある。ただ、その人たちが自ら得た知識をアツプットしたり、その知識を元に行動をしているのか?というと、そういう形跡はあまり見られないなって感じたりする。


自分が間違ったことを発信してしまったらどうしよう、、とかそれを見て不快に思う人がいたらどうしよう、、、ということがネックになって、抵抗感がある人が多いのだろうけど、個人的には凄くもったいないなって思う。


だってアウトプットしないとそれによるフィードバックが得られないし、そもそもインプットはただの自己満で終わるから。


結局アウトプットのためにインプットがあるにも関わらず、そこを意識しないでインプットするのはインプットしていないのと同じことだ。

だから、そこをするかしないかっていうことが結局大きな差になるのではないだろうか?


インプットしたらなにを行動に移すか?ということを決める!


なので個人的にはインプットする前にそれによってどのような行動をしたいか?自分が変わりたいか?ということを明確にしたり、意識した方がいいと思っている。

それによって、成長角度は全く変わってくる。


しかも何度もこの記事で書いているけど、自分が思っている以上に人は自分に対して関心や興味はないので、好きに書いたらいいし、変なことを言われても身体的なリスクは全くないので、無視したらいい。


それくらいの気概を持って日々生きていかないと、やってられないよね。

だから僕はインプットを頑張っている人にはもっと知識を得ろとは言わない。

行動、行動、行動だ。

その俊敏さが時代を捉える鍵となるのではないだろうか?

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