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イスラム教徒がヒンドゥー教徒の女性を誘惑し改宗させようとしている─インドで広がる陰謀論「愛の聖戦」とは何なのか【クーリエ・ジャポンからの抜粋-Vol.216】

インドの英字週刊誌「アウトルック」は、インドに広まる“ある陰謀論”が女性を苦しめていると報じる。その陰謀論はヒンドゥー過激派によって信じられているもので、「愛の聖戦」と呼ばれている。これは、イスラム教徒の男性がヒンドゥー教徒の女性を誘惑し、妻にして、イスラム教に改宗させようとしているというものだ。


ヒンドゥー過激派がこうしたプロパガンダを展開する背景には、ヒンドゥー教徒とイスラム教徒の宗教対立がある。ヒンドゥー過激派は、イスラム教徒らが女性たちの改宗によって、ヒンドゥー教徒の人口的な優位を覆そうとしていると信じているのである。


宗教を超えた愛

「宗教の異なる女性と激しい恋に落ちました。彼女のほうも同じでした。これが、私の犯した罪でした」イスラム教徒のサッジャード(仮名)は「アウトルック」誌にこう説明する。

ふたりは以前から結婚を考えていた。しかし2020年、ヒンドゥー教徒を自称する民兵らが、この異教徒同志の結婚の噂をききつけ、相手の女性との関係を断つよう、サッジャードに迫った。民兵らは、この時すでに自宅に軟禁されていた恋人の家族にも連絡したという。

サッジャードと恋人は逃亡する。「しかし、私たちの幸せは長くは続きませんでした。極右の民兵たちが私の逮捕を主張したのです。私の家族をこのスキャンダルに巻き込むことになってしまいました」


サッジャードと恋人は、インド北部に位置するウッタル・プラデーシュ州バレーリー県の村に帰ることを余儀なくされた。

宗教間の憎悪をあおる

村に帰ったサッジャードの不幸は、それだけではなかった。恋人の家族が訴えを起こしたのだ。サッジャードは強制改宗を禁じる2020年の法律に基づいて、2ヵ月以上の禁錮刑を受けなければならなかった。

彼が刑務所にいる間に、恋人は家族によって別の男性と結婚させられた。

「私たちの結婚に反対したヒンドゥー教徒の人たちもいましたが、支援してくれた人もいました。私にとって、問題は宗教観の対立ではありません。愛に対する憎しみの問題です」とサッジャードはふりかえる。


「愛の聖戦」の起源は、英植民地時代の1920年代にさかのぼる。1954年には、ウッタル・プラデーシュ州カーンプルで、イスラム教徒の行政官がヒンドゥー教徒の少女を誘惑し、改宗を矯正したとして告発されている。


「アウトルック」誌は「当時、ヒンドゥー教徒のグループは、この女性を救出し、夫の家から連れ出すことを要求した」というデリー大学の歴史学教授チャルー・グプタの言葉を紹介する。


教授によれば、イスラム教徒の男性に対して今日おこなわれている告発は、1920年代におこなわれたキャンペーンと非常に似通ったものだという。当時は、「愛の聖戦」という言葉の代わりに「誘拐」という言葉が使われていた。


研究者たちは、「愛の聖戦」という言葉が使われるようになったのは、2013年にウッタル・プラデーシュ州のムザッファルナガル県で起きたヒンドゥー教徒とイスラム教徒の間の大規模な暴動の際に、イスラム教徒への憎悪を掻き立てる目的だったと推測する。

この分断戦略は功を奏し、2014年の総選挙の際には、ヒンドゥー至上主義とつながりがあり、ナレンドラ・モディ現首相も所属するインド人民党が、同州で78議席中71議席を獲得するに至った。


まもなく重要な選挙がおこなわれるウッタル・プラデーシュ州では、今また「愛の聖戦」と改宗問題が、議論の的となっている。「アウトルック」誌は、この言葉は法的に定義されたものではないと指摘している

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