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日本が国境を閉ざし続ければ「純然たる発明」になるおそれがある【クーリエ・ジャポンからの抜粋-Vol.232】

日本が世界の視界から消え、忘れ去られるおそれがある。世界との主要連絡路がいまだに断たれているからだ。


コロナ前は何千万人という観光客が毎年、日本を訪れ、そこで出会った人々や文化や食を褒めちぎる土産話と共に帰国していた。


だが、コロナ禍で門戸がピシャリと閉じられる前に来日できたのはわずか400万人だった。五輪は2021年に開催されたが、国内の観客すらなしだった。


日本は何を待っているのか?


日本は最近になって遅ればせながら、留学生や長期労働者を受け入れはじめたものの、観光客に対しては門戸を閉ざしたままだ。


日本のコロナ対策の多くと同じく、その厳しい水際対策にはかつて意義があった。そうした慎重なコロナ対策が功を奏し、パンデミックが始まって以来の2年間の死者数は、アメリカの2022年3月だけの死者数より少ない。


だが、日本が何を待っているのかはもはや明らかでない。65歳以上の8割超がワクチンを追加接種済みと、国民のワクチン接種率は高い。


外国からの脅威を完全に排除しているというわけでもない。中国と違って、日本はコロナゼロ戦略を目指したこともないし、現在も新規感染者数は1日に4万ほど出ている。


つまり、日本は、馬がとっくのとうに脱走した馬屋の戸をただ閉め続けているだけなのだ。


水際対策は受けがいいから続けるのか


アルファ株、デルタ株、オミクロン株のどれも、観光客が来なかろうと、日本に侵入する道を見つけてきた。


日本はその敷居の低い国境を完全にコントロールしてもおらず、在日米軍がオミクロンを持ち込んだと一部から非難されるほどだ。


それなのに日本が観光客を受け入れないままでいるひとつの理由は、水際対策が、効果的だろうがなかろうが、受けがいいということだ。


少なくともこの結果の一因は、五輪開催に反対した熱狂的なキャンペーンのせいにできるだろう。それが、国民の精神にコロナは輸入されるものだというメッセージを吹き込む一役を担ったからだ。


だが、コロナ前でさえ、自国が観光天国になるという発想に日本人が観光客ほど夢中になるということは一度もなかった。


門戸を閉じたままでいるメリットは疑わしい

岸田は世論調査に敏感で、この夏の選挙を意識している。だが、門戸を閉じたままでいることのメリットは疑わしい。


1年前、ワクチンでパンデミックが終わるかもしれないと世界がまだ願っていたとき、待つことにメリットはあった。だが、コロナを完全に消し去れないことはいまや明らかだ。


観光客に対してふたたび門戸を全開にする必要すら日本にはない。コロナ前の観光客の約3分の1を占めていた中国人が、すぐに戻ってくるとは考えにくいからだ。

慎重な再開が、経済を「ほぼ通常」に回復するという岸田の目標の役に立つこともあるだろう。


コストも増大している。ローンや政府の補助で大方のビジネスは何とか存続できてきたが、観光セクターの持続可能な成長のためには外からの資金が必要だ。


五輪のために作られたインフラは使われなくなる。日本の航空会社、鉄道会社、デパートは大半が赤字だ。


薄れゆく日本の存在感


外の世界に対する日本の存在意義が薄れゆくのを阻止するという、より大きな必要もある。

日本の政治家たちは、1980年代の「ジャパン・バッシング」から「ジャパン・パッシング」への転換について長らく語ってきた。


いまやそれはありふれた話ではある。だが、このコロナ禍での日本の孤立はその傾向を加速させるばかりであり、韓国のソフトパワーと中国の経済力によって押しのけらてもいる。

そのような事態を是正する措置が必要だ。日本が世界から見て、ワイルドの言う「単なる一様式、優美な芸術的幻想」になる前に──。


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