1959年、モスクワでアメリカ博覧会が開催されたとき、米国副大統領が当時のソビエト連邦首相ニキータ・フルシチョフに見せびらかすために、ペプシ・コーラ、ポラロイドカメラ、ダッジのコンバーチブル・カーが展示された。
だが、もっとも反響を呼んだのは、リーバイ・ストラウス社のコーナーだった。ジーンズを履いた米国人が、モスクワの人々に向けてカウボーイ・ソングを披露したのだった。同社のジーンズは展示されていたサンプルのほとんどが盗まれるほどの人気ぶりだった。
リーバイスのジーンズ「501」は、ソ連の闇市場でもっとも人気のある商品のひとつとなった。1982年、ソ連紙「インダストリー」は、501の価格が200ルーブル(当時のエンジニアの1ヵ月分の給料に相当)に達したことを「不道徳的だ」と報じた。
「資本主義の陰謀」だった?
マクドナルド、コカ・コーラ、ペプシ、スターバックス。西洋を象徴するブランドが相次いでロシアからの撤退を発表するなかで、リーバイスほど象徴的な存在はほぼないだろう。同社の総売り上げ57億6000万ドル(約6680億円)のうち、ロシアが占める割合はおよそ2%にしか満たない。だが、それはロシアにおけるリーバイスの重要性を示す数字ではない。
ロシアの繊維メーカーの粗い作業着より柔らかいと評価されたアメリカン・デニムへの渇望は、米国文化や資本主義そのもののソフトパワーを具体的に示すものとなった。
1984年、米「ニューヨーク・タイムズ」紙は、ロシア紙「プラウダ」の読者が共産党の新聞社に手紙を出したことを報じた。そこには「リーバイスより質の良いジーンズを生産できるようになったら、そのときこそ国家の誇りを語るときだ」と書かれていたという。
西欧のキラー・アプリケーションとは
「ソビエトは原爆を複製したが、501を複製することはできなかった」と、歴史家のニーアール・ファーガソンは2011年の著書『文明: 西洋が覇権をとれた6つの真因』(勁草書房)で述べた。同著では、消費主義が西欧諸国側の勝利に貢献した「キラー・アプリケーション」のひとつと位置づけられている。
リーバイスのサンフランシスコ本社の資料室には、スティーブ・ジョブズの501やアインシュタインのタバコで汚れたジャケットなどの遺品と一緒に1通の手紙が保管されている。1991年にモスクワから米国にやってきた若い女性が書いたその手紙にはこうあった。
「人生のなかで幸せな時間はそう多くないが、リーバイスのジーンズを買ったことは、私の人生のなかでそんな瞬間のひとつだ」
元オリンピック体操選手のジェニファー・セイが、リーバイス関連のブランド会社の役を退いたとき、1986年に出場したモスクワでの親善試合のことを回想したという。
彼女は大会に10本の501を持参した。ロシア人は「私のデニムと、それが象徴するものすべてを欲しがった」と書いている。
2006年のベラルーシ選挙では、ルカシェンコ政権に反対する勢力が、デニムブルーをキャンペーンカラーに選んだ。まだ“ジーンズが象徴するもの”は健在なのだ。
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