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執筆者の写真Shunta Takahashi

「導かれている」感覚を持つということ

あなたは今までの人生を振り返った時に周りに比べて運がいい方だと思うだろうか、それとも悪い方だと思うだろうか。

もしくはどちらもでもない?


世の中には周りがどう見ても「運がいいな」って思う人が一定数存在する。 その人たちの特徴はなんだろうか?


もし共通することがあるとするならば、自分もその共通項を持つことができれば、同じように「運がいい人」になれるはずだ。だからその点について知ることは人生を幸せに生きるこ

とと同意義で重要なことだと思っている。


そこで、いろいろな本を読んだり動画を見たりする中で、僕自身の結論を解説していきたいと思う。


人生の何気ないことに意味を感じることができるか?


ある本の中で語っていてすごく衝撃だったのが、世の中でいわゆる成功をしている人たちがどのような言葉を一番多く語っていたか?という研究をしている内容があった。 それによると、一番多いワードが「たまたま」「偶然」「運よく」など、自分の意図しないことに関する言葉が多かったらしい。


そして、このことが何を意味しているかというと、おそらくそういう人たちは日常で起こっている些細なことに対して意味づけをして、それが結局運を引き寄せることに繋がっているのではないだろうか、ということだ。


人間は意識したものしか認識できない、という性質がある。


例えば、芸人が日常で起こった出来事を面白おかしく話をしている場面を見かけるが、それは芸人だから日常で面白いことが起こるのだろうか?

そんなことはないはずだ。

彼らは日常で起こる些細なことでも、「話のネタ」になるような意味づけを与えるように、日々アンテナを張っているからに過ぎない。


だから日常で起こることが普通の人だったらスルーするような些細なことでも、それをネタとして面白いエピソードにすることができる。


そしてこれは運についても同様で、同じように運に対して意味づけを与えることができる人は、普通の人が些細なことだと認識することでも運と紐付けすることができ、結局幸運な出来事として処理することができる。


それがすなわち、運気を引き寄せるということに他ならないのでないだろうか。


起こった出来事への解釈は自分次第


そして、ここからが大事なのだが、結局何が起こったかを解釈するのは自分次第で、ある人が不幸と認識することをある人がラッキーと認識することがあるように、出来事ではなくて自分の解釈が不幸と幸福を決めている。


これを究極的に言えば起こったことは全て、神なのか仏なのかは分からないけど何かに「導かれている」という感覚を持つことができれば、自分の身にはラッキーな出来事しか起こらないということを思うことができるはずだ。


ある有名な作家は毎日、自然に向かって「導きたまえ」ということを祈っているらしい。これは、全ての出来ごとは必要なことでベストなことが起こるのだということの表れだと思う。


その点をぜひ腑に落とすことができれば、すごく人生観を変えることができると思うので、意識してみてほしいと思う。



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