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執筆者の写真Shunta Takahashi

人生というゲームで勝つということ

よく僕は人生はゲームだっていうことを話をする。


本当にそれは感じていて、ではそのゲームの勝ちの基準は何か?というと価値観に合った生き方をどれだけ全うする事ができるか?という事だと思っている。


例えば家族が価値観の中で一番大事な割合を占める人が、毎日朝から深夜まで働いて家族にそっぽを向かれてしまうのは人生で勝ったとはいえない。


逆に世の中にできるだけ大きな影響を与えたい!という価値観の人だったら、場合によって

は結婚しない方が価値観を体現できる生き方ができるのかもしれない。


つまり個人で価値観を設定して、それを体現する事が人生というゲームに勝つ事なのだ。

そこで僕の人生がどういうゲームを展開しているか?ということを考えてみた。


僕にとっての人生における「勝ち」の定義


僕にとっての人生で「勝った」と言える状態は、「時間、経済、健康、仲間、やりがい」が満点でいることだ。これらのどれか一つでも欠けていたらダメ。

つまり、この5つを満たす事が僕にとっての人生のテーマだった。

ただ、これは今の話。社会人になりたての僕にとっての人生においての勝ちという定義はこんな感じだった。

「有名な会社に入って、出世して、お金には困らないで、キレイな奥さんと結婚する人生を送る」

つまり何よりも人からよく思われたい!っていう気持ちが非常に強かった。 それなので、周りの人が羨ましいと思う生活をする事が一番大事な要素だったのだ。

しかし、社会人になって1年間過ごした時、思った以上に、いい大学を出て一流の会社に入って得られるメリットは少ないなっていうことに気づいた。


別に合コンで「すごい!」って言われるわけでもないし、年収も悪くはないけど、サラリーマンの中の上くらいのレベル。


ということを考えた時に今までの頑張ってきた方向性を間違っているのではないかということを薄々感じるようになった。


また周りで付き合う人たちが会社とかステータスよりも「人生をどうしたいか?」という、もっと俯瞰して物事を見る人が多く、自分の人生のゴールを明確にして紙に書いている人は?と聞かれた時に、僕だけが該当しなかったのを見たときに早く自分の軸を再定義しないと後悔する人生になるなっていうことを強く感じた。


見栄とプライドというカバンを捨てたら新しいカバンを持つことができる


ということで視野を広げて様々な世界を見させてもらい、自分の価値観を変えて今に到るのだが、最近感じることは見栄とプライドという両手に塞がったカバンを捨てると、こんなにも人生の重荷から解かれるのかっていうことを感じる。

これも人生におけるルールの一つなのだろう。


身軽になったので、やりたいかやりたくないかで判断したり、自分を一層曝け出すことができるようになった。


そして、このまましっかりと進んでいければ人生の「勝ち」は見えてくる(はず)。ただ、僕は一つだけ心に誓っている事がある。

それは死ぬまでは気を抜かない事。


人生の最後の最後でドン底に向かっていった人をたくさん見てきた。 22歳で周りからすごい!って思われても40歳でその人が幸せでい続けているかどうかはわからないし、それよりも40歳まで「可哀想」って思われる暮らしをしても残りの40年で反転できれば幸せな人生という事ができるだろう。


つまり、人生は長期戦。

最後の最後の死ぬ時まで気を抜かずに自分の幸せを追い求めていきたい。 それが僕にとっての人生で勝つための戦略だ。

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