週休2日制が定着するには、危機的状況が必要だった。大恐慌時代、労働時間の短縮は、限られた仕事量をより多くの人に分配させるための方法とされた。
しかし、フランクリン・D・ルーズベルト大統領とその政権は、これではあまりにも極端すぎると考え、代わりにニューディール政策という形で労働者の経済的救済を図ろうとした。労働を制限するより、雇用を増やそうとしたのだ。
週30時間労働案が白紙になった5年後、ルーズベルトは公正労働基準法に署名し、特定の産
業では40時間を超えたら高い賃金を支払うことを義務づけ、週5日労働制を正式に導入した。
この約100年の間、アメリカ人が仕事に費やす時間がどんどん短くなるという考えは、現在のように不可能だとは広く思われていなかった。余暇時間の拡大は道徳的な進歩の証であるという共通の信念に沿ったものだったのだ。そして当面は労働日数が減り続けていくだろうと思われていた。
1930年、イギリスの著名な経済学者ジョン・メイナード・ケインズは、「100年後には生産性の向上により、人々の労働時間は週15時間程度になるだろう」と予言した。その四半世紀後、副大統領だったリチャード・ニクソンは、週休3日制がすぐに実現するだろうと語っていた。
時間よりもお金になってしまった?
2014年に行った世論調査では、約50%の労働者が、20%の給料アップと引き換えに、週に1日多く働くと答えている。
理想的には、週休3日制はサラリーマンの週あたりの労働日数を1日減らすだけではなく、時給制の従業員が同じ給料で20%短いシフトで働き、より予測可能な休暇を取得できることを意味する。
週休3日制がより広く普及すれば、過去の人々と同様、アメリカの経済力が低下すると主張する人もいるだろう。しかし、経済成長を続けながら労働を減らす、というのは明らかにあり得ることであり、これまでのアメリカの歴史の中でも多くのケースがある。
実際、今日(こんにち)のビジネスリーダーたちが必要だと主張する週休2日制は、過去の
ビジネスリーダーたちがまったく不合理だと主張したものだ。
ヨーロッパのいくつかの国では、労働時間をさらに短縮しても悲惨な結果にならないという
例がある。1975年、ドイツ人とアメリカ人の年間平均労働時間は同じだった。それから45年以上が経ち、ドイツの1人当たりのGDPは他の多くの豊かな国と同程度だが、ドイツ人の年間労働時間はアメリカ人よりも約400時間少ない。
週休3日制の支持者の多くは、ビジネス上の理由から、週休2日制とその仕事量を再考することで、アメリカの効率性をより高めることができるとしている。しかし、労働時間の短縮を推進するということは、生産性よりも高い目標を想像することであり、仕事中心の生活から脱するというアメリカの宿題を拾い上げることでもある。
その努力の結果、生産性が向上するのであれば、それは素晴らしいことだ。しかし、週休3日制の本当の目的は、企業に利益をもたらすことではない。人々に利益をもたらすことなのだ。
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