もしも、世の中が「結婚」ではなく「友情」を中心に作られていたら…【クーリエ・ジャポンからの抜粋-Vol.17】

「恋愛・婚姻関係」と「友人関係」。どちらが大切かと聞かれれば、たいていの人は「どちらも大切だ」と答えるのではないだろうか。

だとすれば、「親友」には配偶者と同等の法的な権利がないのか。 この点について、今回の記事は過去の歴史などから問題提起を展開している。 「親密な友人」の存在について この記事では、ニコールとレイチェルという、共に既婚者だったが、お互いを「人生のパートナー」とみなしている例を取り上げている。

二人の間に性的な感情はなかったが、毎日顔を合わせ多くの時間を共に過ごしていた。 まもなくニコールは夫の転勤で町を出ることになり、レイチェルも別の町に引っ越すことになった。その時にレイチェルはシングルマザーとして娘を育ており、ニコールはたびたび訪ね子育てを手伝った。

しかし、レイチェルは娘を預けられる人が身近におらず、仕事も休みがちで、ついには失業。彼女は次第に鬱になっていき、自殺してしまった。 ニコールがレイチェルを失ったことは、実質「配偶者を失ったことに等しい」。しかし、現代において「親友」という存在が法的な権利や保護から外されてしまっている。 「親密さ」は、必ずしも性的な感情を含んでいるわけではない。 実は、親密な二人は「セックスをしたいと思っているに違いない」と考えられるようになったのは20世紀の中頃からだ。 それまでは同性間の性行為は非難されたが、同性間で交わされる情熱や愛情は非難されなかった。実際、同性の友人間での、恋文にも似た情熱的で献身的な手紙や詩の送り合いは、決して珍しくはなかった。 もっとも、当時は成人女性が「夫の経済的支援」なくして生きていくのは困難な時代で、女性が夫よりも友人との人生を優先する可能性は極めて低かった。それも「脅威」とみなされなかった一因ではあるのだが、、

だが、女性の大学進学や社会進出が広がると、女性の選択肢は増え、必ずしも「夫」を必要としない人たちが出てきた。

女性同士の親密な友情が、男性にとって無害なものでなくなると、同性同士の親密な友情を「性転換」の証、「不道徳なもの」とみなす価値観が広げられていった。

同性婚の障壁には、それが「一男一女」の婚姻の権利を侵害するものだという偏見があるが、「友情」に対しても、同様の偏見があったことがうかがえる。

結婚3.0について

米ノースウェスタン大学の心理学者イーライ・フィンケルは、アメリカの結婚観には時代によって3つの異なる段階があるという。

1つ目は、植民地時代から1850年頃までの期間で、この頃の“結婚の意義”は、配偶者の「経済的および生存のニーズを満たすこと」だった。

2つ目の段階は、19世紀から20世紀中頃までで、この頃にはより「愛」が強調されるようになった。

3つ目の段階は1965年頃から始まり、結婚の意義は「より自己実現的なものに移っていった」。

結婚というパートナーシップが自己発見と個人的な成長の場になることを期待する人が増えていったのだそうだ。

このような結婚に対する価値観の変化を通して、現代人は「社会的および感情的なあらゆるサポートを配偶者に求めるようになり、ますます結婚に依存するようになった」。 だが、ひとりの配偶者にすべてを求めるのは、「結婚生活にも悪影響を及ぼしかねない」。 今後、配偶者に与えられたパートナーの人生をサポートする役割と権利を、親友にも開いていくことは、同性婚の合法化に続く次のフロンティアになるのではないだろうか。

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