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執筆者の写真Shunta Takahashi

ありがとうの反対

人間て良くも悪くも慣れる生き物だということを思う。 まあ人類が生き残るために、今いる環境に適応するという能力が備わったと言われれば納得するけども。


それなので、もし人が意識しないと自分が置かれている環境に対してなんも感じることはないし、ただの日常に変わっていく。しかしそうなると、これが普通ではなかったということに気づいた時に修正することは難しくなる。


あなたが今、生きることができている理由


この現象は会社員の場合に顕著に現れる。 どういうことかというと、入社して最初は毎月の給料やボーナスをもらって嬉しいと思う気持ちやありがたいという気持ちが湧いてくる。


でもそれが段々と日が経つにつれて、毎月の何十万円という給料に対して違和感を感じることがなくなり、それが当たり前の日常になる。


その結果としてどういう気持ちが起こるかというと、感謝の気持ちもなくなる。

そう。ありがとう=有り難い=ある事が難しいという語源からくるように、つまり、ある事が普通=当たり前になった瞬間にありがとうという気持ちが薄れていくのだ。

他にも夫婦生活についても同じ事がいえるよね。

僕は結婚していないからよくわからないけど、やっぱり母親が父親に対して怒っていた際の理由は感謝の気持ちがないことに起因していたようだ。


家事をやってくれるのは当たり前。パートに出るのは当たり前。

それが相手に伝わった時に、「なんでこの人のためにやらないといけないの?」という気持ちになるのだろう。


当たり前で囲まれた日常から豊かさは生まれない


また今の日常が当たり前になると、日々自分の中で豊かな感情が生まれるかというとそうならない。


逆にそれが満たされないとイライラさえしてくるはずだ。

電車が遅れてムカつく、ボーナスが減って最悪、休日出勤だるい、、

これらはそうじゃない日常が当たり前になっているから起こる感情だ。


でも日々自分がいる状況が特別だということを思う事ができたなら、そういう状況に対して感情的になることはないだろうし、逆に普通の生活ができるだけで日々楽しくなるに違いない。

つまり自分が豊かであるかどうかを決めるのは結局、自分自身なのだ。

そう考えた時に、日々感謝の気持ちを持つことができているかどうかはとても大事な気がする。だって感謝するということは、当たり前ではないという気持ちからきているから。


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