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近くの存在ほどぞんざいに扱うのはなぜ?

この前、話をしていてふと感じたことがあった。


それは自分と他人という大きく分けて2つに分けられる人種があった時に、同じ人間であることには変わりはないけど、24時間一緒にいる「自分」という存在に凄く不誠実なことをしてしまうことって往々にしてあるのではないか?ということ。

例えば、多くの人がやってしまいがちなことが「自分との約束」。

毎週OOする、ということや自分自身が決めた目標をすぐに投げ出してしまったりするなど、途中で約束を破ってしまうようなことをしていないだろうか?


他人との約束を守るというのは人間関係の構築において超基本的なことではあるので、その点についてとやかく話題に上がることすらないくらいだが、自分との約束については意外と見落とされている気がする。


でも、人生でずっと一緒にいる自分への約束を破り続けると、どうなるか?というと自分を信じることができない、つまり自信を持つことができなくなる。

ということを考えると、他人に接するのと同様に、自分自身に対しても大切に扱うということが求められるのではないだろうか?


営業の話をしていて、ふと感じた瞬間


ということに派生して、営業という仕事について話をしていた時にふと感じたことがある。

それは他人を騙すということをするのは良心的な人であれば誰であってもやりたくないことではあるが、じゃあ自分を騙して仕事をしていないか?ということについてはどうだろうか、ということだ。


つまり「本当はOOなんだけどなあ」って感じながら、そう思う自分に嘘をついて、なるべく短期的には傷つかない(あるいは傷に気づかない)ことをしていないか?ということだ。

営業をしていてストレスが溜まる一番の理由は、自分がいいと思ったものではないものを他人に対して提案することだ。それは対他人に対して不誠実なことをしているだけではない。対自分に対して不誠実なことをしてしまっているということなのだ。


だから、この点についてもふと閃いたのだが、自分が愛用していない商品や共感していない商品を提案し続けている営業マンは時間が経つと性格が歪んでくるように思うのだ。

ということを考えた時に、いかに自分に対して嘘をつかないようにしていくか?というテーマは大事だと感じている。


きれいごとの反対は汚いこと


ということを書いていると、おそらく「そんなきれいごとが通用するほど世の中甘くない」って思う人がいるかもしれないけれど、逆にきれいごとじゃないことって「汚いこと」だ。

それを認めるくらいであれば、たとえ通用しなかったとしても貫いていきたいと思うし、そもそも自分がそういう考えでも通用するって思わないと本当に通用しない。


でもずっと一貫し続けてそういう軸を持っていると、自分がいやだな〜とかって思うことを生活の中から除外することって全然可能だと思う。


僕の場合も扱う商材は自分が世の中にとって価値がある!と思うもので、それに匹敵するものは他にはないよねって確信が持てるもの以外はない。


それでもなんとかやっていけているし、逆に迷いがないから精神的には凄く楽だ。


だから、今の仕事やライフスタイルについて、本来求めているものと違う状態が続いているのであれば、ぜひ自分に素直になって欲しいと思うし、そうしないと一生自分に嘘をつき続ける人生を送ることになる。


あまり健全ではないから、早くそういうところから脱出するようにしていきたいよね。



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